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東京地方裁判所 昭和50年(ヨ)2344号 判決

債権者

大村不二男

右訴訟代理人弁護士

田中晴男

(ほか三名)

債務者

株式会社栄進社

右代表者代表取締役

上田清作

右訴訟代理人弁護士

葛西宏安

坂本政三

主文

債権者が債務者に対し労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

債務者は債権者に対し、金二九万六九五二円及び昭和五〇年八月から本案判決確定に至るまで毎月二五日限り月額九万八九八四円宛の金員を仮に支払え。

申請費用は債務者の負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  債権者

主文同旨。

二  債務者

1  債権者の申請を却下する。

2  申請費用は債権者の負担とする。

第二当事者の主張

一  債権者の申請の理由

1  債務者は、本社を東京都荒川区西日暮里、工場を栃木県佐野市に置くサッシドア等の製造販売を目的とする株式会社であり、債権者は昭和四六年二月債務者に雇用された従業員であり、かつ全日本総同盟東京地方金属同盟栄進社支部(以下単に組合という)に所属する組合員であった。

2  債権者は債務者の従業員として、債務者から、毎月当月分の賃金を当月二五日に支払われることになっており、昭和五〇年四月当時の月額賃金は九万八九八四円であった。

3  しかるに債務者は、昭和五〇年四月二五日債権者に対し就業規則四八条に基づき懲戒解雇する旨の意思表示をし、右以降債権者を従業員として取り扱わず、同年五月分以降の賃金を支払わない。

4  しかしながら、右懲戒解雇の意思表示は後述のとおり無効であるから、債権者はいぜんとして債務者の従業員たる地位にあり、かつ右2項記載の賃金請求権(昭和五〇年五月分から同年七月分までの合計金二九万六九五二円及び同年八月以降毎月二五日限り月額金九万八九八四円宛の請求権)を有するところ、債権者は債務者から支給される賃金を唯一の生活の基礎としている者であるから、本案判決確定まで債務者からその従業員として取り扱われず、賃金の支払いを受けられないでは、たちまち生活に困窮し著しい損害を蒙るから、申立の趣旨のとおり地位保全及び賃金仮払いの仮処分を求める必要がある。

二  申請の理由に対する債務者の答弁

1  申請の理由1ないし3項の事実は認める。但し1項中組合名は栄進社労働組合(以下単に組合という)である。

2  同4項は争う。

三  債務者の主張

1  債務者(以下会社ともいう)の属するサッシ業界は、もともと多数の企業が乱立し、過当競争にしのぎを削る状態にあったが、いわゆる石油ショック以来の設備投資の抑制、金融ひきしめ等により、主要な需要先である建設業界の建築受注が激減し、これに伴ってサッシ類の需要も大打撃を受け、深刻な不況に見舞われた。会社もその例にもれず、昭和四九年から五〇年にかけて受注量の大幅な減少をみ、一時休業を行なわざるをえない状態に追い込まれた。

かかる未曾有の危機を打開するため、会社は昭和四九年末から昭和五〇年二月末にかけて昭和五〇年度経営基本方針を策定し、その中の最重要の柱である受注活動の強力推進(受注目標二八億八〇〇〇万円)に関する一項目として「新市場を関東中心から全国に拡大するための営業所、出張所の充実と常駐社員の設置、清水建設株式会社(以下清水建設という)支店、営業所に対するSEシステムドア(清水建設と会社が共同開発したサッシドア、以下SEドアという)販売の推進」を定めた。右項目は、従来の関東中心の市場範囲では目標達成が困難との予測から、将来性のあるSEドアを主力武器として関東以外、特に大市場である大阪を拠点とする近畿、九州地区等に進出する必要からとられた方針であり、危機打開のために真に必要な、重要項目の一つであった。

ところで、当時大阪営業所は、嘱託として採用された長坂昇所長が一人で営業活動に従事している状態であった(ほかに丸喜産業株式会社(以下単に丸喜産業という)の女子事務員に電話の取次ぎ、書類の整理を委嘱していた)が、右方針を遂行するには、同所長を補佐する常駐従業員一名の補充が是非とも必要であった。右増員者の行うべき業務内容は要約すると、長坂所長に同行し、主として清水建設大阪支店設計部にSEドアの採用を要請し、要請があれば納り図を設計して説明すること、設計部にSEドアが取り入れられたら、建築現場所長にも同様の説明を行い了解を得ること、長坂所長のする価格交渉に必要な見積計算、見積書の作成等をすること、工事契約後納り図の設計をし得意先の承認を得ること、大阪地区以外に中国、四国、九州地区についても得意先を訪問し販売拡大をはかることなどであった。

2  右増員者の人選に当っては、右業務内容に鑑みサッシ設計の経験がありかつ積算の能力があってしかも営業的感覚をも有する者である必要があり、遠隔地に居を移すことから独身者が適当であり、これらが人選基準とされた。そして、債権者は設計、積算工事営業の業務に従事した経験があり、独身者であり、かつ性格も接客業務に向いていて入社前にも接客業務に従事していた経歴を有し、右基準に適合するとともに、債権者が当時所属していた部署では債権者が他に転出しても業務に支障がない状態にあり、他方、他の適任者にはそれぞれ当時の所属部署において不可欠であるなどの事情があったため、会社は債権者を大阪営業所へ配転することを内定した。

3  そこで会社は昭和五〇年三月一一日組合に対し、前記昭和五〇年度経営基本方針とこれに基づく組織変更、人事異動(債権者の大阪営業所配置を含む)を提示し、これに対し組合は同月一七日主旨賛成の意思を表明しつつ、併せて質問、提案事項を提出し、その質問事項の一項目として大阪営業所の将来について質問したが、その後数次の労使交渉を経て、組合は会社回答を了承し、結局同月二五日組合は会社の右提案につき全面的に了承する旨を表明した。

かかる経過を踏まえて会社は、同月一九日債権者に対し、直属上長である第二営業本部長川森歳男を通じ、同年四月一日付をもって大阪営業所へ配転する旨の内示をした。その後発令日である四月一日までの間川森本部長及び大川総務部次長において、三月二二日、二七日、三一日の三回にわたり債権者と話し合ったほか、川森本部長は連日のように話し合ったが、債権者はその中で大阪営業所の所在地、活動状況、営業範囲等につき質問するとともに、慶応大学通信教育のスクーリングを受ける必要があること、健康上の問題があること、プライベートな問題があること等を順次申し述べて、右配転に応じられない意向を示した。

同年四月一日会社は他の配転者と共に債権者に対し右配転の発令を行ったところ、債権者は辞令の受領を拒否した。そこで右発令後も川森本部長及び大川次長において同月二日、八日、一四日の三回にわたり、そのほかにも職場において随時、債権者との話し合いを重ね、その拒否理由を聞くとともに、できる限りの配慮を示しながら、配転に応じるよう説得に努めたが、終に債権者はこれに応じなかった。

ところで、債権者が配転拒否理由としてあげた前記三点はいずれも拒否の正当理由たりえないものであった。即ち、まず通信教育のスクーリングの点については、もともと債権者は昭和四六年入社に際し履歴書に昭和四七年三月卒業見込みと記載しているのであり、それにもかかわらず昭和五〇年三月においてなお卒業していないのであるから、真に通信教育過程を履践する意思があったとは思われないのであるが、それでも会社は、内示段階では夏冬各一週間年次有給休暇を利用して参加するよう、その後各一週間の特別休暇を与える旨、さらに四月一四日には各一週間を出張扱いとし旅費も支給するとまで申し出、可能な限りの配慮をして説得したのであるが、債権者はこれにも応じなかったのであるから、もはや正当な拒否理由には当らない。また健康上の問題については、会社は内示の段階から精密検査を受けるよう指示していたのであるが、債権者はようやく四月九日田端中央病院で精密検査を受け、その結果は同月一四日治療を必要とするところはないことが判明したのであり、さらにプライベートな問題については、債権者は当時その具体的な内容を申し出なかったのである。そのほか配転を拒否すべき正当な理由は存しなかった。

債権者は、右のとおり会社の配転命令に従わないばかりか、この間職場でしばしば私用電話を長々とかけて他の従業員に迷惑を及ぼしたり、上司に対し長時間にわたり難詰したり、大声をはりあげたりして、他の従業員の業務遂行に悪影響を及ぼし、職場秩序を乱した。

4  会社の就業規則四条には、「会社は業務の都合で職員に転勤又は転属を命ずることがある。前項の場合に職員は正当の理由がなければこれを拒むことができない」旨定められており、また債権者は入社時会社に提出した誓約書をもって「貴社に正式採用されたうえは、貴社の就業規則その他諸規程を遵守し、誠実に勤務する」旨約しているところ、債権者の右配転命令拒否は右就業規則の定め及び誓約に違反し、そして懲戒事由を定めた就業規則四八条一号の「この規則その他会社の規則に違反し累を会社に及ぼしたとき」に該当する。

そこで会社は、就業規則五一条及び労働協約八一条に則り、同年四月一五日組合に通知のうえ同月一八日賞罰委員会を開催し、この件に関する債権者の懲戒処分問題を付議し、討議の結果懲戒解雇についての賛否が同数となったので、同委員会はその旨を会社に答申した。

右答申を受けて会社は、同月二四日、債権者の右配転命令拒否行為及びそれに付随する前記職場秩序紊乱の責が重大であるほか、債権者の日常の勤務態度、勤怠状況も不良であり、また何ら反省の情もみられないことをも考慮したうえ、就業規則五〇条、労働協約八〇条に定める懲戒処分のうち懲戒解雇に処することに決定し、同月二五日債権者に対し懲戒解雇に付する旨の通告をした。その際解雇予告手当を提供したが債権者はその受領を拒否したので、同年五月二二日東京法務局へ供託した。

5  よって同年四月二五日限り、債権者と債務者との雇用契約関係は終了したものである。

四  債務者の主張に対する債権者の答弁

1  債務者の主張1項の事実中、昭和五〇年度経営基本方針として主張のような項目が提起されたこと、当時大阪営業所は嘱託として採用された長坂所長一人が営業活動に従事していたことは認めるが、その余は不知ないし争う。

2  同2項の事実中、債権者が設計、積算工事営業に従事した経験があり、独身であったこと及び会社が債権者を大阪営業所へ配転することを内定したことは認め、その余は不知ないし争う。

3  同3項の事実中、会社が昭和五〇年三月一一日組合に対し昭和五〇年度経営基本方針とこれに基づく組織変更、人事異動について提示したこと、会社が同月一九日債権者に対し直属上長である川森本部長を通じ大阪営業所への配転の内示をし、その後四月一日までの間何回か債権者と話し合ったこと、これに対し債権者が配転に応じられない意向を示したこと、その理由として健康上の不安があると述べたこと、四月二日、八日、一四日に話し合いがなされたこと、債権者が終に配転に応じなかったこと、債権者が入社時の履歴書に昭和四七年三月卒業見込みと記載していたこと、債権者が四月九日田端中央病院で健康診断を受けたことはいずれも認めるが、その余は争う。

組合は、会社が三月一一日に提案した昭和五〇年度経営基本方針に対し基本的には賛成したが、それに伴う個々の人事等には賛成していなかったのであり、特に債権者の配転については一貫して反対の態度を表明し、その方向での行動をとってきたのである。

4  同4項の事実中、会社の就業規則四条、同四八条一号の各規定の内容、四月一八日賞罰委員会が開催され債権者に対する懲戒解雇につき賛否同数となったこと、会社が四月二五日債権者に対し懲戒解雇の通告をし、解雇予告手当を提供したが債権者が右手当の受領を拒否し、会社が五月二二日これを東京法務局に供託したことは認め、その余は争う。

五  債権者の主張(本件懲戒解雇の無効理由)

会社が債権者に対してした本件懲戒解雇は、次のいずれの理由によっても無効である。

1  不当労働行為

(1) 債権者は会社入社後組合員となるや、活発な組合活動を行い、入社後一年余の昭和四七年秋には執行委員に選出されて教宣部長に就任し、翌四八年秋には副委員長に選出され、翌四九年秋からは代議員書記として活躍した。その間債権者は組合員の先頭に立ち、会社に対する諸要求をかち取り、働く者の生活と権利を守るための真の労働組合作りに専念してきた。たとえば、昭和四八年一〇月、会社から工場の超勤体制、本社からの工場応援体制の提案がなされた際、組合としては一定の協力はしながらも後に悪例を残す夜勤体制への協力は拒否したし、同年一一月には物価手当一ケ月分要求を決定し闘ったが、債権者はその先頭に立って闘ったものであり、さらに債権者は、資格制度撤回、労災の私的補償、工場内最低賃金の制度化、退職金の引き上げ、住宅手当の制度化等々の実現に奮闘したのである。

もともとそれまでの組合は、運動がマンネリ化し、執行部中心の組合活動となり、経済闘争中心主義であり、組合幹部と会社との馴れ合いの下に自立性を欠いていたのであるが、債権者を中心とする執行部が誕生してからは、活動範囲を拡大し、権利闘争をも取り組みの中に加え、組合運営に一般組合員の意思を反映させるなど、真に労働者の権利のために闘う労働組合となっていったのである。

(2) かかる活発な組合活動をする債権者に対し、会社はさまざまな攻撃を加えてきた。たとえば、職制を通じて従業員に対し大村たちと付き合うなと宣伝し、大村は労使の交渉で強硬なことばかり言っているという中傷を流し、昭和四九年秋ころ発足した野球愛好会に債権者が入会を希望したところ、同会を誕生させた近藤取締役の意向により入会を拒否するなど、債権者孤立化の策動がなされたり、さらに昭和四九年秋の組合役員選挙には、債権者を落選させるため職制が中心になって対立候補を立候補させるとともに、債権者の選挙活動に対しては陰に陽に妨害をなし、ついに債権者を落選させることに成功した。また、債権者は入社以来設計部門に所属し、一貫して設計の仕事に従事してきたのであるが、昭和四九年一〇月から工事部門へ一ケ月、営業部門へ半月、見積部門へ四ケ月と転々と職種変更させられた。この取り扱いは、債権者及び組合の反対の意向を無視してなされた前例のないもので、債権者に対する差別人事にほかならない。そしてこれによる債権者の工事営業見積の経験を本件配転の一理由としてきたのであるが、このことは会社が右差別人事の当初から債権者を大阪営業所に配転させようと企図していたことを物語るものである。

(3) 会社が大阪営業所への配転者として債権者を人選した理由として主張するところは根拠のないものである。即ち、人選の一理由として債権者に工事営業見積の経験のあることを挙げるが、その経験は右に述べたように債権者に対する差別人事の結果であり、しかも極く短期間のものにすぎないのであり、これをもって人選の一理由とすることは不当である。また債権者が接客業務の経歴を有するとの点は、債権者が以前ガソリンスタンドのスタンドマンとして勤務し、またオートバイの部品の出し入れの仕事に従事していたことをとらえて言っているのであるが、こじつけもはなはだしい。これに対し債権者以外に人選基準に適合する従業員は当時多数存したのである。

一方、配転先たる大阪営業所は、わずか三坪の借室にすぎず、従業員としては非常勤の嘱託社員である長坂所長一人であり、しかも同人はほとんど出勤していないのであり、そのため大阪営業所独自の業務は皆無であって、かくの如く営業所とは名ばかりの実体のないものなのである。

(4) このような配転について、債権者としては、本社の労働条件との相違、大阪勤務の年数、配転に当っての人選基準等、不安、不明な点が多く、承服し難いので、会社と何回か話し合ったが、会社は債権者の要求を無視し、話し合いが継続中であるのにかかわらず昭和五〇年四月一日一方的に配転命令を出そうとし、これに対する債権者の坑議により会社は一たん発令を保留するに至り、一方組合も、既に述べたとおり会社の昭和五〇年度経営基本方針に基本的には賛成しつつも、債権者の本件配転については終始反対の態度を表明していたのにかかわらず、会社は同月一八日後に述べるとおり強引に賞罰委員会を開催し、債権者が配転に応じないことを理由に、組合の反対を押し切って、一方的に懲戒解雇処分を通告してきたのである。

(5) 以上の事実によれば、本件配転は、債権者をことさら実体のない大阪営業所に孤立化させてその組合活動を封じるためなされようとしたものであり、これに対する拒否を理由とする懲戒解雇は債権者を何が何でも会社から放逐しようとの意図から出たものというべきであって、本件懲戒解雇は、債権者の組合活動を理由とする不利益取扱いとして、また組合の弱体化を狙った組織介入として、不当労働行為に当るものというべく、よって無効なものである。

2  労働協約、就業規則違反

(1) 労働協約八一条には「……懲戒の認定処分の厳正公平を保障するため会社、組合それぞれ同数の代表者により賞罰委員会を設ける。」旨定められている。

しかるに債権者に対する本件懲戒解雇に関する賞罰委員会に関しては、組合は昭和五〇年四月一五日会社から賞罰委員会開催の申入れを受けたが、これに対し同委員会を開催するか否かを決定するだけを目的とする会合なら出席する旨返答し、会社はこれを了承した。そして組合は同月一七日執行委員会において同委員会開催の必要はないとの意見の一致をみ、その意見をもって同月一八日の会合に臨んだところ、会社側代表の近藤取締役より賞罰委員会開催通知書が手渡され、右了解に反し、強引に賞罰委員会が開催されてしまったのである。

かかるだまし討ちの形で開かれた委員会では十分な討議は全く期待できず、到底処分の厳正、公平を保障しうるものではないから、右賞罰委員会の開催は右労働協約の精神に反するものであり、従って右労働協約上の手続は履践されていないことに帰するというべきである。

(2) 労働協約八九条一項には「経営協議会は必要と認める時はその下部機関として専門委員会を設けることができる。」と、同条二項には「前項の専門委員会は賞罰、安全衛生、福利厚生、苦情処理及び各種委員会をもってこれに充てることができる。」と定められている。この規定によれば、賞罰委員会は経営協議会の下部機構であるから、賞罰委員会で結論の出なかった事項は経営協議会において再度審議すべきものであり、現に会社においても他の専門委員会に関してはそのように運用されている。

しかるところ債権者の懲戒解雇に関する右賞罰委員会では、解雇を是とする者四名、非とする者四名の同数で結論が出なかったのであるから、経営協議会で再度審議することを要するものというべきであるのに、それが履践されていない。

(3) 労働協約九〇条には「経営協議会及び各種専門委員会は関係者の出席を求め報告させ、又は事情を聴取することができる。」と定められており、これは、関係者の意見を十分に聞き処理に誤りなきようにしなければならないとの趣旨を現わすものである。

しかるに会社は、右賞罰委員会をわざわざ債権者がレイ・オフの日を選んで開いたのであり、これは右協約の精神に反している。

(4) 就業規則五一条には、「賞罰は別に定める賞罰委員会の調査に基いて行う」と定められているのに、右賞罰委員会には、会社の一方的に作成した資料が提出されたのにすぎず、賞罰委員会自体としては何らの調査も行っていない。

(5) 懲戒解雇は、従業員にとって最も不利益な処分であるから、それに関する手続は厳正に履践されなければならないところ、本件懲戒解雇は右のとおり労働協約、就業規則に定める手続に違反してなされたものであるから、無効である。

3  懲戒解雇権の濫用

(1) 会社には、昭和五〇年四月当時、当事者の意向を無視してまで大阪営業所への配転を強行しなければならない業務上の緊急性も必要性もなかったのである。そして、大阪営業所の実体は前記1(3)項で述べたとおりであって、そこへの配転はいわば島流しに等しい不利益な処分であり、会社の主張する債権者を人選した理由は同項に述べたとおり合理性を欠くものであり、債権者をしてこれに充てなければならない必然性は存しない。

労働協約七二条には「会社は従業員の配属及び転勤、転務については本人の経歴、技能に基づき、かつ本人の意向、生活条件等を斟酌して公正にこれを行う」と定められているところ、債権者の意に反してかかる配転を強行することは、右規定の趣旨に反するものである。

(2) 本件懲戒解雇の直接の原因たる本件配転命令は保留されたまま発せられていない。即ち、右配転内示後債権者は会社側と何回か話し合いを持ったが、昭和五〇年三月三一日の話し合いの結果、川森本部長は債権者の求めに応じて配転の諾否を同年四月二日まで待つと確約したのに、会社は同年四月一日債権者に配転辞令を交付しようとしたので、債権者がこれに抗議したところ、会社は辞令交付を中止した。そして同月二日和知常務取締役は組合三役の要求に応じて右辞令を保留にすると答えたのである。このように会社は債権者に対し本件配転命令を発しないまま、債権者が配転に応じないとして懲戒解雇の処分に出たのであり、従って懲戒解雇の理由たるべき業務命令違反は存在しないのである。

(3) 配転内示後同年四月一四日まで債権者は会社と何度も話し合いをしたが、その中で債権者が配転に応じられないとする諸点につき、会社は債権者に納得しうる回答を与えていない。たとえば通信教育スクーリングの問題について、会社は最初は考慮の要なしとし、次に休暇の範囲内で行けと言い、最後には年に一、二度の運賃なら考えてもよいとした(なお債務者主張のように、一週間の休暇を与えるとか、出張扱いにするとか約束したことはない。)が、いずれにせよスクーリング期間が年に一週間という前提をとっていたのであり、これに対し実際にはスクーリング期間は年に六週間、最少限でも三週間を要したのである。

(4) 会社は本件懲戒解雇の理由の一つとして、債権者が配転命令を受けた後職場で私用の長電話をし、上司を難詰し、大声をはりあげる等して他の従業員の業務遂行に悪影響を及ぼし職場の秩序を紊したと主張するが、債権者は「累を会社に及ぼした」と評価されるような行動はとっていない。

(5) 以上のとおりであるから、本件懲戒解雇には何ら合理的理由がなく、またこれまで一度も懲戒処分を受けたこともない債権者に対し、所定の懲戒処分の中で最も重い懲戒解雇をもって臨むことは行為と懲罰との間の均衡を失するものであるから、本件懲戒解雇は懲戒解雇権の濫用に当り、無効なものというべきである。

六  債権者の主張に対する債務者の答弁

1  債権者の主張1(1)項の事実中、債権者が主張のとおり組合執行委員、教宣部長、副委員長、代議員書記に選出され就任したことは認めるが、その余は争う。もともと組合は、債権者入社前から積極的に労働条件の向上に取り組み闘ってきたのであって、債権者が役員に就任した時期に従前以上のきわ立った闘争をし成果をあげたということはなく、債権者の組合活動も、一組合員、一役員としてありふれたものであって、特に目立ったものではなかった。また本件配転命令、解雇当時の代議員書記という地位は組合においてさほど重要な地位ではなく、また債権者がその地位においてとりたてて重要な役割をはたしていたわけでもないのである。

同(2)項の事実中、債権者が入社以来設計の仕事に従事してきたところ、昭和四九年一〇月から研修と応援を兼ねて工事部門に、同年一一月から積算及び営業部門に従事させたことは認めるが、その余の事実は否認する。

昭和四九年秋の組合役員選挙において債権者が対立候補に敗れたのは、組合員の支持を得られなかったからにすぎない。野球愛好会は、会社に従来からあった野球部とは別に、会社とは無関係に同好者によって作られた私的なグループであり、同会への入会に会社が関与する筋合いではないし、近藤取締役はたまたまその会長にまつり上げられた者にすぎず、債権者の入会に介入するような立場にはなかった。

会社が債権者を昭和四九年一〇月以後右のとおり設計以外の業務に従事させたのは、債権者の設計における仕事振りが集中力に乏しく必要な応用力に欠けていたため、直属上長より他部門への配転要請がなされるほどであったところ、同年一〇月に至り設計業務が減少したので、この機会に債権者の研修と他部門への応援を兼ねて工事業務に従事させた。ところが債権者がこの業務に真面目に取り組まず研修の実が上らなかったので、同年一一月からは積算及び営業業務に従事させたところ、債権者はその部門で能力を発揮し、適性であることを示した。このように債権者の能力、将来を考えての措置である。

同(3)項は争う。債権者を人選した理由の合理性及び大阪営業所配転の必要性は前記三1、2項に述べたとおりである。

同(4)項の事実は、叙上債務者が主張したところと合致する部分を除き、争う。組合が本件配転を了承したことは既に述べたところであり、会社が債権者に対する配転命令を保留した事実のないこと、賞罰委員会開催の経緯は、後に述べるとおりである。

同(5)項は争う。

2  同2(1)項ないし(4)項の事実中、各労働協約及び就業規則の定めについては認めるが、その余は争う。

同(1)項の主張については、会社は四月一五日組合に対して同月一八日賞罰委員会を開催する旨電話連絡し、その後文書をもって通知した。また同会開会冒頭組合側委員上野川書記長から同会開催について異論が出されたが、他の組合側委員から異論はなく、結局上野川書記長も納得して、賞罰委員会としての審議がなされたのである。

同(2)項の主張については、解雇問題は経営協議会の付議事項ではないのであるし、また就業規則五一条、労働協約八一条の文意に照らしても、懲戒処分に関して賞罰委員会は独自の機能を持つものであり、そこで結論がでない場合に経営協議会に改めて付議することは予定されておらないというべきである。

同(4)項については、本件懲戒解雇問題に関し、既に組合も独自に債権者から事情を聴取する等調査を行っていたし、当日の賞罰委員会において約四時間にわたりこれまでの経緯、関係資料等について質疑応答がなされたのであるから、結局同委員会としての調査は十分行なわれていることに帰する。

同(5)項は争う。

3  同3(1)項のうち、労働協約七二条の定めについては認めるが、その余は争う。

会社の大阪営業所への配転の必要性、債権者人選の理由の合理性については、三1、2項で主張したとおりである。また労働協約七二条の定めは、会社の留意すべき当然の事理を一般的、抽象的にうたったものであって、この定めにより会社が特別の義務を負うものではないところ、会社は、既に主張したとおり合理的に債権者を人選し、また債権者の意向や生活条件についても債権者の意向を十分に聞き斟酌したうえで、本件配転命令を発しているのであり、右定めの趣旨に反するところはない。

同(2)項の事実は否認する。

四月一日会社は債権者に対し確定的に本件配転命令を発した。ただ債権者が辞令の受領を拒否したので、辞令を交付することができなかったが、これにより発令自体がなかったことにはならない。また三月三一日川森本部長は債権者の要望に応じて、大阪営業所に赴任するか否かの返事を四月二日まで待つことを了承したが、併せて四月一日発令ということは変えられないことを述べているのであり、諾否の返答を待つことは発令を保留することを意味しない。和知常務取締役が辞令を保留すると述べたことはない。

同(3)項の事実は争う。会社が債権者に対し、その意向を聴き、できるだけの配慮をしたことは、三3項に述べたとおりである。

同(4)項は争う。この点については前記三3項末尾に主張したとおりである。

同(5)項は争う。

第三証拠関係(略)

理由

一  債権者の申請の理由1ないし3項の事実はいずれも当事者間に争いがない(もっとも債権者所属の組合の名称が全日本総同盟東京地方金属同盟栄進社支部であるのか、栄進社労働組合であるのかは、本件証拠上確定し難い。)。

二  当事者間に争いのない事実に、(証拠略)を綜合すると、次の事実を一応認めることができる。

債務者会社はわが国サッシ業界において中規模クラスに属する企業であるが、サッシ業界はもともと多数の企業が乱立して激しい競争下に置かれていたところ、昭和四八年秋のいわゆる石油ショック以来の設備投資の抑制、金融ひきしめ等の経済界のすう勢により、建設業界の建築受注が激減し、これに伴ってサッシ類の受注も激減し、会社においても、昭和四九年一〇月から昭和五〇年初頭にかけて受注量の著しい減少をみ、一時休業を行なわざるをえない状態に追い込まれた。

会社においては、毎年度(会計年度は毎年四月から一年間)前に、次年度の経営基本方針を定める例になっていたが、昭和四九年末から昭和五〇年二月末にかけて策定した昭和五〇年度経営基本方針においては、右のような経営危機の打開策を焦点にし、右危機打開のための最重要の柱として、受注目標を二八億八〇〇〇万円とする受注活動の強力推進を掲げ、そのための施策の一つとして、新市場を関東中心から全国に拡大するための営業所、出張所の充実と常駐社員の設置、清水建設支店、営業所に対するSEドア(清水建設と会社が共同開発した半既成品的なサッシドア)の販売推進を定めた。右施策は、従来の関東中心の市場範囲では右目標達成が困難との予測から、将来性のあるSEドアを主力武器として、関東以外の市場に進出する必要があるとの判断に基づくものであり、その具体策として、水戸、静岡に各営業所を新設し、そこに本社勤務と兼務の営業所長を配置すること、従来嘱託の営業所長のみが配置されていた大阪営業所に新たに専従の従業員一名を配置することとした。なお、会社の本社組織において、第一ないし第三各営業本部が置かれ、各営業本部毎に営業等、設計等、工事の各部が置かれているところ、大阪営業所は従前から第三営業本部の管轄下に置かれていたが、水戸営業所は第一営業本部に、静岡営業所は第二営業本部にそれぞれ配置された。

ところで、それまで大阪営業所は、嘱託として採用されかつ清水建設の嘱託も兼ねる長坂昇所長一人が配置されていただけであり、同所長は永年清水建設大阪支店に勤務してきた者で、従って清水建設や建築現場に対するサッシ工事の情報収集については十分な能力を有したが、自身サッシ工事につき設計、見積等の能力を持たないため、右情報収集を主として担当し、設計、見積等の業務は本社で行い、現実の取引をまとめるにはその都度本社から担当者が出張してその処理に当ることがほとんどであったし、また、同所長は営業所事務所に常駐しないため、電話や書類の取次ぎ等を、会社と同様清水建設の系列会社である丸喜産業の女子事務員に委嘱している状態であった。しかし、大阪は東京に次ぐ大市場であり、またここを拠点として近畿、中国、四国、九州方面への進出も可能との判断から、会社は、前記関東以外への販路進出の中でも大阪営業所の充実を重視し、そのためには、長坂所長を補佐する専従従業員一名の配置が必要であると判断したものである。そして右増員者の担当すべき業務内容は、長坂所長を補佐して主として清水建設大阪支店設計部に対してSEドアの採用を要請し、必要な説明を行うこと、設計部で採用されたら建築現場の所長にも同様の説明を行いその了解を得ること、価格交渉に必要な見積計算等をすること、工事契約後納り図の設計をし注文者の承認を得ること、大阪地区以外に中国、四国、九州等の清水建設の出先を訪問して販売拡大をはかること等が予定された。

三  (証拠略)並びに当事者間に争いのない事実を綜合すると、次の事実を一応認めることができる。

会社は、右大阪営業所の増員者の人選に当り、右予定された担当業務内容に鑑み設計の経験があり積算の能力があってしかも営業的感覚を有する者である必要があり、かつ遠隔地に移住することから独身者が適当と判断し、これらを基準として人選することとした。そして前示のとおり大阪営業所は第三営業本部に属することから、まず同本部長に対し同本部所属従業員からの人選を求めたが、同本部には欠員の予定があるので配転者を出す余裕がないとの返答があり、そこで第一、第二営業本部長に対し各所属従業員からの人選を求めたところ、第一営業本部においてはやはり欠員を生じたため余裕がないとの返答があったが、第二営業本部長川森歳男から同本部に所属する債権者を適任者として推せんがなされた。

債権者は、昭和四一年三月宮城県工業高等学校機械科を卒業し、暫く家業を手伝った後昭和四二年一一月上京して同月から昭和四五年二月までガソリンスタンドを営む青木商店株式会社に勤務し、次いで昭和四六年一月までホンダオートバイの部品販売業を営む東部商事株式会社に勤務した後、会社に入社した者であるところ、入社後は本社技術本部設計部、昭和四八年四月の組織変更に伴い本社第二営業本部設計部に所属し、一貫して設計の業務を担当してきたが、研修と応援とを兼ねて、昭和四九年一〇月から同本部工事部の業務を担当し、同年一一月に半月ないし一ケ月弱の間同本部営業見積部の営業部門の、その後は同部の見積部門の業務を担当し、昭和五〇年三月に至っていた。

川森本部長は、債権者の右経歴及び債権者が独身でありかつ性格的にもはっきりものを言い、活動的であるなどの点から、債権者が右人選基準に適合すると判断し、また同本部の設計部には債権者の他に三名の独身者がいたが、一名は新入社員であって不適格であり、他の二名はその地位及び能力に鑑み同本部設計部にとって欠かせない存在であるのに対し、債権者は設計担当者としては有能でないため、債権者を欠いても同本部の設計業務に支障がないとの判断から、債権者を大阪営業所配転要員として推せんしたものである。

会社は右推せんを了承し、債権者を右配転要員として内定した。

四  (証拠略)に当事者間に争いのない事実を綜合すると、次の事実を一応認めることができる。

会社は昭和五〇年三月一一日組合に対し、前記昭和五〇年度経営基本方針とこれに基づく組織変更、人事異動を文書をもって提示し、その中には債権者を大阪営業所に配置する旨の記載も含まれていた。これに対し組合は同月一七日右経営基本方針等の大綱については了承する旨の意思を表明しつつ、細部については要望、質問事項を文書をもって提出したが、その一項目として債権者の配転が予定されている大阪営業所に関しては、「大阪営業所をどのように考えたらよいのか、今後の計画展望はどうか(具体的に何をやるのか)」を質問した。右質問に対し会社は同月二四日組合に対し前二項認定の趣旨に副って回答した。

債権者は同月一六日組合役員を通じて会社の右配転計画を知ったが、会社は同月一九日債権者に対し直属上長である川森第二営業本部長を通じ同年四月一日付をもって債権者を大阪営業所へ配転する旨の内示をした。その後同年三月末日までの間主として同本部長が何回か債権者と話し合ったが、その中で、債権者は、大阪営業所の物的、人的現状、活動状況、債権者を人選した理由、同営業所での労働条件等について質問すると共に、自分は設計の仕事をやりたい、組合活動に差支える、慶応大学の通信教育を受けたいのだがそのスクーリング等に差支える、健康に自信がない、プライベートな問題がある(結婚したい相手がいる)、大阪営業所の実態に不安がある、自分だけが選ばれた理由がわからない(他に適任者がいっぱいいる)、入社時の約束と違う等の理由を挙げて、配転に応じかねるとの意向を明らかにした。かくして債権者の承諾が得られないまま、会社は同年四月一日債権者に対し右配転の発令をし、そして辞令書を交付しようとしたが、債権者は、前日の三月三一日川森本部長が諾否の返答を四月二日まで待つと約束したのに反すると抗議して辞令書の受領を拒否した。そこで会社は右発令後も主として川森本部長を通じ同年四月二日、八日、一四日の三回にわたり債権者と話し合い、その中で二日には債権者から、それまで既に口頭で質問していた事項にさらに事項を付加して質問書(証拠略)が提出され、八日には川森本部長がこれに対し口頭で答え、配転条件について意見を交わし、川森本部長は大阪営業所強化の重要性、債権者の適任性等を強調して配転に応ずるよう極力説得し、債権者は前記諸点を挙げて配転をとりやめるよう求めたが、結局話し合いは平行線をたどり、一四日ついに物分れに終った。この間前記健康上の問題に関し債権者は会社の指示により四月九日田端中央病院で精密検査を受けたところ、慢性気管支炎、胃十二指腸潰瘍、変形性腰椎症、高血圧の諸症があるが、いずれも直ちに治療の必要はないとの所見であり、会社に提出された健康診断票には、医師の指示、就業上の支障とも特になしと記載された。なお、右質問事項の一つとして債権者は大阪営業所の在勤期間を糺したが、会社は終始未定である旨回答した。

ところで、本件配転問題に対する組合執行部の反応につき、債務者は、三月二五日組合は全面的に了承する旨を表明したと主張して、(証拠略)を援用し、(人証略)はこれに副う証言をし、一方債権者は、組合は終始反対の態度を表明していたと主張して、(証拠略)を援用し、(人証略)はこれに副う証言、供述をするところ、そのいずれが真実であるかいまにわかに断定し難いところであるが、これらの証拠を綜合判断すると、当時組合三役、執行委員の中には配転に応ずべきだとする意見の者と配転に反対の意見の者とが相半ばし、その中間にいずれにも一理あって決し難いとする者もあったが、執行部内部では本人が同意しない以上会社は配転を強行すべきでないとの見解が結局主導的立場を占めたものの、その見解を会社に対し表明するに当っては、右意見の相違を反映して必ずしも一貫した明解な意見の表明がなされなかった、という状況にあったものと窺われる。

なお債権者は、四月一日の会社の本件配転命令の発令は留保され、同月二日和知常務取締役は組合三役に対し辞令を保留にすると答えた旨主張し、(人証略)はその旨証言、供述するが、(人証略)に照らしにわかに採用できないところというべきである。

五  会社の就業規則四条には、「会社は業務の都合で職員に転勤又は転属を命ずることがある。前項の場合に職員は正当の理由がなければこれを拒むことができない。」旨定められていること、同四八条一号は、「この規則その他会社の規則に違反し累を会社に及ぼしたとき」を懲戒事由と定めていること、労働協約八一条には、「……懲戒の認定処分の厳正公平を保障するため会社、組合それぞれ同数の代表者より賞罰委員会を設ける。」旨定められていることはいずれも当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば債権者は入社に際し「貴社に正式採用されたうえは、貴社の就業規則その他諸規程を遵守し、誠実に勤務する」旨の記載を含む誓約書を提出したことが認められるところ、(証拠略)に当事者間に争いのない事実を綜合すると、次の事実を一応認めることができる。

会社は、債権者が右のとおり配転命令を拒否してこれに応じなかったこと及び配転命令後債権者が従前の第二営業本部の職場に出社してとった態度が右就業規則四条及び誓約の趣旨に違反し、就業規則四八条一号に該当し、これが懲戒に値するものと判断し、同年四月一五日組合に対し債権者に対する懲戒に関する賞罰委員会の開催を申し入れ、同月一八日会社側、組合側各四名の委員で構成される賞罰委員会が開催され、会社から債権者を懲戒解雇に処することの当否が付議された(その冒頭組合側委員である上野川書記長から、当日の会合は同委員会開催の要否を討議するために開催に応じたものであるとして、賞罰委員会そのものとしての開催に異議が唱えられたが、結局債権者に対する懲戒解雇問題に対する賞罰委員会として開催された。)。そして討議の結果、会社側委員は全員債権者に対する懲戒解雇を可とし、組合側委員は全員これを否とし、賛否同数となったので、その旨が会社に答申された。右答申を受けて会社は、債権者の右配転命令拒否行為及びそれに付随する職場秩序紊乱の責が重大であるほか、債権者の日常の勤務態度、勤怠状況も不良であり、また反省の情もみられないと判断して、同月二四日就業規則五〇条、労働協約八〇条に定める懲戒処分のうち懲戒解雇に処することに決定し、同月二五日債権者に対しその旨の通告をした。その際会社は解雇予告手当を提供したが債権者はその受領を拒否したので、同年五月二二日これを東京法務局へ供託した。

六  前示のとおり会社の就業規則には、会社は業務の都合で従業員に対し配転を命ずることができ、従業員は正当な理由がなければこれを拒否できない旨の定めがあり、債権者は入社に際し、会社の就業規則その他諸規程を遵守し誠実に勤務する旨誓約しているところ、(証拠略)によれば、会社の従業員には一般事務職員と一般技工員とがあって、一般事務職員には営業見積、設計、工事等の担当従業員を含むところ、債権者は一般事務職員として採用され、採用時偶々本社の技術本部設計部に人員配置の必要があったため同部に設計担当者として配置されたのにすぎず、採用に際しそれ以上に職種及び勤務地を特定する趣旨の約束はなされなかったこと、右採用時会社の事業所として本社、佐野工場のほか大阪営業所が存在したことが一応認められる。

してみれば会社と債権者の労働契約は右一般事務職員としての担当業務の範囲を逸脱しない限り、会社は業務上の必要により債権者に配転を命ずることができ、債権者は正当な理由がなければこれを拒否できないものとして、締結されたものとみるほかはない。しかるところ本件配転先の大阪営業所における担当業務が右一般事務職員のそれの範囲に属することは、既に述べたところから明らかであるから、本件配転は、会社の業務指揮権の範囲内に属することがらといわなければならない。

そして前示一項に判断したところによれば、会社の業務の都合上従業員一名を大阪営業所に配転する必要があったことを認めることができ、同二項に判断したところによればその対象者として債権者を選定したことは一応の合理性を認めることができるものというほかない。

これに対し債権者が本件配転を拒否した理由についてそれらが右にいう正当な理由に該当するかどうかの観点からみるのに、まず通信教育の点からみると、(証拠略)によれば、債権者は昭和四六年二月の入社に際し提出した履歴書において、昭和四一年一〇月慶応義塾大学文学部哲学科入学(通信教育)、昭和四七年三月同卒業見込と記載していたことが認められ、それにもかかわらず昭和五〇年三月の時点まで卒業できなかったことにつき、会社の業務を遂行するためやむをえなかったものとみるべき事情は本件証拠上これを認めえないから、真に卒業する意思があったかどうかさえ疑わしいものというべきであるし、その意思があったにしても、右時点に至って、会社の業務上の都合によりその履習にある程度の不便、遅延が生じても、それは雇用契約に拘束される立場にある者としてはやむをえない事情にあったものといわなければならない。次に健康上の問題については、前記四項中に判断したとおり、債権者は当時直ちに治療を要するような病気はなかったのであるから、この点も配転拒否の決定的理由とはなりえないし、プライベートな問題については、債権者本人の供述によっても、当時債権者が結婚したいと一方的に思っていた女性がいたというのにすぎないのであるから、これをもって配転拒否の正当理由とみることはできない。前記四項に示したそのほかの拒否理由についてみても、右の観点から決定的な配転拒否理由となりうるものは見当らない。

七  しかしながら、使用者はその業務指揮権の範囲に属する配転命令を行使するに当っても、その業務上の必要性ばかりでなく、本人の意向や配転によって本人が蒙る労働条件上及び生活上の不利益にも十分に配慮して公平にこれを行うべき信義則上の義務があり、労働協約七二条に、「会社は従業員の配属及び転勤、転務については本人の経歴、技能に基づき、かつ本人の意向、生活条件等を斟酌して公正にこれを行う」旨定められていることは当事者間に争いがないところ、これは右の当然の理を明らかにしたものということができる。

しかして、本件においてこの点を考えるうえにおいては、次の諸点を看過することができない。

1  (証拠略)を綜合すると、被告の大阪営業所は昭和二七年に開設されて以来継続的に存続してはいるが、右開設当時から昭和三二年まで、及び昭和三八年から昭和四一年までは大阪に会社の工場が存在し(昭和三二年に一旦閉鎖し、昭和三八年に再開した。)、昭和三八年から昭和四一年までは大阪営業所に勤務する従業員数は五名ないし九名の多きにのぼっていたものの、昭和四一年に再び工場を閉鎖してからは、その従業員数は営業所長一名のみとなり、昭和四三年七月に長坂昇が所長として採用されたが、同所長は前示のとおり清水建設の従業員をも兼ねた明治三九年七月一六日生れの嘱託従業員であって、同所長は清水建設大阪支店において執務することが比較的多く、また営業のための外廻りなどもあって、大阪営業所の事務所で執務することは極めて少なかったこと、このため前示のとおり同事務所における電話や書類の取次等を丸喜産業の女子事務員に委嘱している状態であったこと、そして同事務所は、大阪市西区江戸堀所在の前記丸喜産業大阪支店の二階建プレハブ建物の二階のうち広さ約一〇平方米の一室を無償で借り受けているもので、備品として机二個と電話が設置されているにすぎない程度の小規模なものであることが、いずれも一応認められる。

また、既に認定したところと(証拠略)によれば、会社には昭和五〇年三月当時まで本社、佐野工場及び大阪営業所のほかに事務所は存在せず、そして大阪営業所には前認定のとおり昭和四三年以後清水建設大阪支店を退職して嘱託として採用された長坂所長一人であったから、会社従業員にとって本社ないし佐野工場以外の地への配転ということは、右以来未曾有であったことが、一応認められる。

2  前示のとおり、債権者は入社以来一貫して設計部門に在籍していた者であるところ、配転先の大阪営業所において課せられる業務は、設計、積算の資質を要するとはいえ基本的には営業業務であり、設計業務とはその性質を異にするものである。もっとも前示のとおり債権者は昭和四九年一一月に研修及び応援の目的で営業業務を担当したことがあるけれども、既に認定したとおりその期間は一ケ月に満たない短期間にすぎない。また(人証略)と債権者本人の供述によれば、債権者は前示のように昭和四九年一〇月から本件配転当時まで工事、営業見積の業務を担当させられている間、再三にわたり会社に対し、もとの設計部門の業務に戻してくれるよう要請し、容れられないでいたものであることが一応認められる。さらに、債権者は入社前ガソリンスタンドを営む青木商店株式会社及びホンダオートバイの部品販売業を営む東部商事株式会社に勤務した経歴を有するのであるけれども、債権者本人の供述によれば、そこで担当した仕事は、前者ではいわゆるガソリンスタンドマン、後者では部品の出入れと配達であったことが一応認められ、それらに伴う接客は、大阪営業所で担当すべきSEドアの販売促進という業務とは、全く異質のものといわざるをえない。

3  (証拠略)に当事者間に争いのない事実を綜合すると、債権者は入社後一年余の昭和四七年秋には早くも組合執行委員に選出されて教宣部長に就任し、翌四八年秋には副委員長に選出され、翌四九年秋には副委員長選に落選したが代議員書記に就任し、終始活発な組合活動を行ってきた者であって、将来とも組合活動に対しては、いわゆる同盟路線に反対する闘争的組合活動に向けて並々ならぬ意欲をもっていたことが、一応認められる。

以上のとおり、本件配転は、債権者の入社後はもとより略一〇年の長きにわたって未曾有のことであり、その配転先は、債権者にとって生活経験のない遠隔地で、事務所の規模、設備は極めて貧弱であり、一緒に仕事をする者といえば清水建設勤務を兼ねた当時六八歳の長坂所長ただ一人であり、担当すべき業務は債権者にとって経験に乏しく、会社にとっても新たな試みである関西以西方面での販売促進、販路拡大に取り組むことであって、しかも先に認定したとおりその在任期間も未定ということであってみれば、入社後の経歴も浅く、年若い債権者にとってみれば、労働環境及び生活条件の変化と自己の将来に対する不安はまことに無視しえないものがあり、客観的にみても極めて異例にして不利益な配転といわざるをえない。しかも本件配転に伴い、債権者が熱心に志向していた組合活動は事実上ほとんど中断せざるをえないことも明らかである。しかして、債権者がしてきたそれまでの組合活動と債権者が昭和四九年一〇月以来意に副わない設計以外の業務を担当させられていたことなどを考え合わせて、本件配転者として多くの従業員の中で特に債権者が選ばれたことにつき十分な納得がいかない限り、債権者において本件配転を自己に対する不公平な不利益措置としてとらえ、これに反対する態度に出ることは、心情としては十分に首肯しうるところといわなければならない。

八  会社が本件配転要員としてまず債権者を人選したこと自体は、既に述べたとおり一応合理性を肯定できる。しかしながら、前項に述べた本件配転の特異性、不利益性に照らせば、債権者の意に反してこれを強行するに当っては一般の(本社及び佐野工場の範囲内での)配転の場合と異った特段の配慮が要請されるものといわなければならない。即ち、債権者の反対の意思が明らかになった段階で、他の従業員をもってこれに替える余地がないかどうか、会社の業務上の都合と対象者の意向とを綜合して、他の適任者との対比においていずれを人選するのが公平、妥当であるか等を、極部的にではなく全社的配置との関係において細かく検討することが、前項冒頭に述べた観点から要請されてしかるべきものというべきである。

しかるに、(人証略)を綜合すると、要するに、会社は、第一ないし第三各営業本部長に対し適任者の人選を求め、第一及び第三各営業本部長からは当該各本部から配転者を出す人的余裕がないとの返答があったのに対し、第二営業本部長からは先に認定したような理由で債権者を適任者として推せんしてきたので、これを配転者に決定したというのにすぎず、他に大阪営業所で予定された業務に適した人材が存在しなかったというわけではないのであり、そして債権者が反対の意思を表明してから懲戒解雇の処分に出るまでの間においても、全社的に適任者がどこどこに何人いるか、これらの者の中で大阪営業所配転に応ずる者がいるかどうか、債権者との比較においていずれを人選するのが公平、妥当であるか、他の部署に配転者を出す人的余裕がないとしても複数の配転を組み合わせることによって他の者を大阪営業所へ配転することが可能であるかどうかなどの検討はついになされなかったことが一応認められるのであり、そして当時大阪営業所の充実が右の検討の暇を許さないほどに焦眉の急であったと認めるべき証拠は存しない。してみれば債権者を人選したことは、会社の業務の都合上合理性を肯認しうる人選の一つであるといえるのにとどまり、他をもって替え難い必然、不可避な人選であったとはいえないのである。

九  叙上の諸事情を綜合勘案すると、会社が債権者の意に反して本件配転命令を強行したことは、会社の業務上の都合にばかり目を向けて、従業員の意向、労働、生活条件等に対する配慮を欠いた措置といわざるをえない。これに対して債権者が本件配転を拒否した理由は、既に述べたとおり厳密な意味では配転拒否の正当理由に当るとはいえないが、少くとも主観的には首肯しうるところが存するのである。してみれば、右の故をもって本件配転命令の無効を来たすか否かはともかく、仮に配転命令としては有効と解するにしても、債権者がこれに従わなかったからといって、会社の経営秩序を維持しその業務執行を正常円滑ならしめるに、債権者を終局的に企業外に排除することが不可欠であるものとはとうてい認め難いところというべく、(証拠略)によれば、懲戒処分にはけん責、出勤停止、減給及び懲戒解雇があると認められるところ、本件につきこのうち最も重くかつ他の処分に比し特段に重大な不利益処分である懲戒解雇をもって臨んだことは、懲戒権の行使として社会通念上著しく公平、妥当を欠くものであって、懲戒権の濫用に当るものといわざるをえない。

一〇  (人証略)によると、本件配転発令後も債権者は本社第二営業本部設計部の職場に出社したが、会社からは仕事を与えられず、電話の応対程度のことをしていたところ、時折本件配転問題で上司と口論し、また組合役員に電話するなど私用電話をし、それが五分ないし一〇分間にも及ぶこともあって上司から注意を受けたことがあり、これらのことが他の従業員の業務に多少の支障になったことを一応認めることができるが、その程度を超えて債権者がことさらに職場の秩序を紊乱する行為に出たとは未だ認めることができず、右認定の程度の行為は、配転問題について使用者と従業員との対立している際には通常見られる行為であって、それだけを取り上げて懲戒事由に当るほどの職場秩序紊乱行為というにはとうてい足りない。

また、(証拠略)によれば、債権者は入社以来欠勤、遅刻がかなり多く、勤怠が不良であったことが一応認められるけれども、それ自体をもって債権者との雇用関係を維持するに重大な支障があると考えられるほどのものとも認められないし、また(人証略)によれば、債権者がそのことによりこれまで懲戒処分を受けたこともないことが認められる。

そしてこれらの点を加味して考えてみても、本件懲戒解雇が懲戒権の濫用に当るとの前記判断を動かすにはとうてい至らない。

一一  以上のとおりであるから、その余の点につき判断するまでもなく、会社が債権者に対してした本件懲戒解雇は懲戒権の濫用に当り無効なものというべく、従って債権者は債務者に対しなお労働契約上の権利を有する地位にあり、かつ昭和五〇年五月以降も毎月二五日限り月額金九万八九八四円宛の賃金債権を有するものと一応認めることができる。

しかるところ、債権者本人の供述と弁論の全趣旨によれば、債権者は賃金を唯一の生活資源としている者であり、本案判決確定まで債務者からその従業員として取扱われず、賃金の支給を受けられないでは、生活に困窮し著しい損害を蒙ることが一応認められる。

一二  よって債権者の本件仮処分申請は理由があるから、保証を立てさせないでこれを認容することとし、申請費用につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 濱崎恭生)

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